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ICUに入った

母の状態で一番改善しなければならないのは肺炎だ。 この肺炎は膠原病が原因で起こる肺炎と推測されるが、母の状態があまりに酷いため、おそらくカビやウィルスがたくさんあるだろうということで、まずはこれを出来るだけ抑えてから『パルス療法』をしたいという計画になった。 それで、昨日から、2週間ほど60ミリのステロイドを投与し、その他に抗菌剤なども使って様子を見てみることになった。 『パルス療法』は3日間行われるもので、1日1000ミリを約6時間点滴で落としていく。 これは短期間で大量のステロイドを投与することにより、母の肺の病態を改善する狙いで行われるものだ。 ステロイドの点滴のおかげか、昨夜は母の熱が下がり、久しぶりに苦しむ様子もなくイビキをかいて寝たりしていた。 だが、ホッとしたのも束の間、病院から電話があり、母が夜中に急変してICUに入ったという連絡があった。 昨日、私たちが帰る頃には母は落ち着いているように思えたのに、呼吸不全になり、自発呼吸で酸素を十分に取り入れられなくなってしまったらしい。 それで、クチから管を入れて肺に直に酸素を送ることになり、その他に胸に管を入れて点滴を落とし、様子を見ることになった。 のどに管などを入れっぱなしにしなければならないが、異物がのどに入っていることは大変苦痛を伴うため、点滴で眠らせること・・・ 私は、自分が水の中に沈んでいるような、そんな感じがしていた。 水中に沈んだ状態で、そこから見える景色を、この現実を、見ているような、そんな感覚。 母がICUに入ったという、目の前の現実が、どこか、遠いもののように感じた。

転院に次ぐ転院

母の容態についてですが、この3日間色々ありました。 今までK病院にて、『メルカゾールの副作用が原因』いう医師の判断で、約2週間ほど入院しましたが、急変し、心不全を起こしたということで、翌日、甲状腺の専門医であるI病院に転院しましたが、実はその翌日、さらにO病院へ転院しました。現在はO病院で治療しています。 そして、母の病名がハッキリと判明しました。 病名は『皮膚筋炎』。 今現在膠原病治療を行っています。 しかも、母の場合は甲状腺疾患と急性アレルギーを併発しています。 専門用語のようなものばかり並べてしまいましたが、大まかに私が解釈している範囲でお話しすると、身体を構成する細胞同士を結びつけたり、臓器を支えたり、細胞に酸素や栄養を補給する重要な役割を担っている組織があり、これは特に皮膚や関節、血管などに多くある組織なのですが、この組織を構成している成分は『コラーゲン』と呼ばれるたんぱく質で、このコラーゲンに炎症が生じて全身的に犯す病気のことを、大まかにひとまとめにして『膠原病』と言うのだそうです。 そして、母の病名である『皮膚筋炎』というのは、皮膚と筋肉が犯される病気で、40歳以上の発病が多く、患者数は女性の場合が圧倒的に多く、その原因は不明で、首や肩、腿など身体の中心に近い部分の筋肉に脱力感があり、紅い斑点が身体のあちこちに出来てきて、たんを伴わないセキと呼吸困難を伴う肺炎になったりするそうです。 その上、筋肉が破壊されて生じるCPKという酵素が血中に増加し、皮膚と筋肉の症状は副腎皮質ホルモン剤や免疫抑制剤で改善されたりしますが、肺炎を起こしている場合や悪性腫瘍を伴う場合は経過が良くないとのこと。 母は残念なことに、経過が良くないとされている肺炎を伴っています・・・。 手の指の爪の周りは赤くなり、ところどころ皮膚が硬化し、首や鎖骨の周辺はかぶれたように赤くなり、背中はほぼ一面赤くなっていて、しかも、母の場合は、これまでの日記で記載していたように食べれませんでしたから、食道の動きが低下している可能性もあります。 関節も痛み、口の中には、まるで牛乳を温めたときに出来るような膜のような真っ白なカビが、舌や歯茎や唇の内側、のどなど一面に生え、高熱が続き、全身がむくんでいます。 現在の母は、目が開けられないほど顔がむくみ、体重はお

急変

母の容態が急変した。 甲状腺の薬を止めたために、甲状腺障害が悪化し、心不全を起こしかけたのだ。 私は仕事を途中でやめ、今後のスケジュールはすべてキャンセルにしてもらった。 いつ仕事に復帰することになるかわからない。 母は泣きはらしたようなむくみがあり、個人部屋に移されていた。 その部屋は後で妹が教えてくれたのだが、いつ死ぬかわからないような人が入る部屋なのだそうだ。 レントゲン写真の母の肺には白いもやのようなものがあり、どうやら肺炎も併発していて、その原因は甲状腺とはまた別で、もしかするとイースト菌によるものかもしれないということだった。 明日、東京のI病院に転院することになった。 薬物アレルギーのある母には薬での治療はできないということで、放射線治療を行う以外に方法はなく、それは東京の病院でしかしていないということで、その代わり、I病院は甲状腺障害専門の病院なので、それ以外の病気についてはどう対応されるのかわからない。 私たち家族は担当医に呼ばれ、正直言って見通しは暗いですと言われた。 甲状腺はもともと悪いのだが、なぜ熱が下がらないのか、いったい根本的な原因に何があるのかがまだわからないからだ。 父が今日は母と共に病室に泊まることになり、私の家にも実家にも猫たちがいるので、万が一のことがあり、しばらく家に帰れない場合、近所の人にえさをあげてもらえるよう頼まないといけないので、私と妹は部屋の掃除をするために帰った。 私は堪えきれず、涙があふれた。 病気から助けてもらえるはずの薬で母は苦しむことになり、薬の助けを得ることが出来ないのが悔しくて、せっかく頑張ろうと思い始めた母の想いや父の気持ちを考えると、悲しくて悲しくてならなかった。 しかも、明日・あさってが、もしかしたら山かもしれないと私たちは告げられており、当人の母は何もしらない。 きっと自分は転院して専門的な治療を受ければ助かると信じているだろう。 神様、母を助けてほしい。 どうか連れて行かないでほしい。 今まで健康管理がなっていなかったかもしれないし、わがままなところもあるかもしれないけれど、私たちにとって、母はかけがえのない家族なのだ。 一生懸命介護するから、母にももっと頑張ってもらうようにするから、どうかこれが寿命だなんて言わないでほしい。

入院・その10

母は今日も懸命に食べようと努力し、色々食べたが、どれもこれも力にならないものばかり。 父がおかゆを少しばかりすすめてみたが、それはいらないと言って拒否。 母は母なりに精一杯食べる努力をしているのだが、母の兄嫁が以前看護婦をしていたことを思い出し、夜に電話で話しをしてみたのだが、やっぱりたんぱく質のものを食べた方がいいと言われた。 そうじゃないと、どんどんやせてしまうと。 でも、母はどうしてもご飯系は食べたくなくて、果物系でさっぱりあっさりしていて、のど越しのいいものを食べたがる。 だが、昨日は私たちが帰った後も吐かなかったようだし、今日も吐かなかったようなので、この調子で頑張れば食欲も回復するかもしれないとの望みが出てきた。 父は再来年の3月で定年退職なのだが、もう会社を辞めて母につきっきりで看病したがっている。 父は母命のような人だし、母の衰弱ぶりを目の当たりにして、普段気丈で快活だった母が『死んでもいい』とまで思っていたということを知って、もういてもたってもいられないのだろう。 だが、今日妹と電話で話した時に、妹の旦那様の兄弟が交通事故で3日くらいICUに入っていたことがあったらしく、3日で1500万かかったそうだ。 それに、もしも母が膠原病や白血病だった場合、その治療費には1000万や2000万はかかると覚悟しておいた方がいいと、薬剤師に言われたと言っていた。 だから、父にはやっぱりちゃんと定年退職まで働いてもらった方がいいんじゃないかと思った。 もしもやめるなら、私の方がいい。 私なら、たとえ占い鑑定をやめたとしても、来春から占い教室を始める予定だったから、教室は1ヶ月に多くて3~4回くらいなので、それで生活費はなんとかなるはずだ。 それ以外の日を母の介護に当てることが出来るから、父には今までどおり働いてもらった方がいいと思う。 「実は・・・」と母の兄嫁にショックなことを打ち明けられた。 母の兄が前立腺癌なのだそうだ。 おじさんは75歳だが、これまでに脳梗塞・胃潰瘍・脳溢血・肺癌・蓄膿などをしていて、そのすべてが手術を施している。 だが、前立腺癌の手術は身体に負担がかかるので、しない方がいいと言われたらしい。 その代わり、進行を抑える薬を一週間ほど前から飲み始めたということで、本当は近々このことでうち

入院・その9

病気の人も、介護する側も、それぞれがそれぞれに色々な想いや葛藤があったりして、深刻であればあるほど大変なものだ。 母の病気が何なのかは、まだ不明だが、たとえ病気が風邪であったとしても、母はこのままでは確実に死に向かっているような気がしてならなかった。 「抗生物質熱」を疑い、点滴をやめた途端にやせこけてしまった母。 たとえロクに食べていなかったとしても、あの24時間点滴は母の症状を現状維持していてくれてたんだと、こうなって初めて思い知らされたことだった。 あんなにやせてしまうなんて・・・。 このままではいけないと思った。 もう病気か、そうじゃないかは関係ない。 キッカケは『薬の副作用』だったとしても、今の母はまるで拒食症の人のようだ。 あれは嫌い。 それはダメ。 これは食べたくない。 こんな状態になってまでそんなわがままばかり言って、生きるということに必死にしがみつこうともせず、何の焦りもないような状態の母。 『病気なのだから』という想いにあぐらをかいて、努力しようとしない母。 そのわがままが命取りになるかもしれないのに。 私が病院に到着すると、病室の入り口にある母の名前だけにランプがともっており「何かあったの?」と思いながら部屋へ入ると、それは母が看護婦を呼ぶためにブザーを押しているという印だった。 どうやらトイレに行きたくてブザーを押したようなのだが、人手が足りなくてなかなか看護婦がやってこないようだった。 「トイレに行きたいの?」 と私が尋ねると、母は苦痛にゆがんだような表情で何度もうなづいている。 私はすぐに車椅子を取りに行ったが、点滴をしなくなり、食べもしない母は以前よりも痩せてしまったために、もっと体力がなくなり、苦しみと辛さが悪化していた。 便座に腰掛けておしっこをしているときも、以前は「座っているのも疲れるのよ」と言っていたが、今日はそんなことを言うどころではない。 おしっこをしている間中、苦しみうめき、便座の上で右に左に身体をくねらせながら、いわゆる上半身でのたうちまわっているような状態。 いつもならトイレが終わったあとビデで洗ったりしていたが、もう拭くことさえまともに出来ない。早々に下着をつけ、車椅子に乗り「早く横にならせて」と悲鳴に近い叫びをあげ、ベッドに倒れ込むように横たわって、そ

入院・その8

今日は担当医が午後には帰ってしまったとのことで、母の容態について何も聞くことが出来なかった。 4日ぶりに会う母は、なんだか一回り小さくなってしまったようで、それに、4日前よりも声が出なくて、4日前よりも性格が悪くなっていた。 「ちゃんと食べないと元気になれないよ。」と私が言うと、4日前はちゃんと返事もしていたのに、今日はいきなり横を向いて目をつぶり、その後は何を話しかけても返事もしない。 私にはそうでもないが、父には枕の脇を手でたたいて八つ当たりをしながら、あっちをさすれ、こっちをさすれと、声もロクに出ないのに強い口調で命令している。 しまいには「そんなさすり方じゃない。○○(私の名前)の方が気持ちいいから代わって!」と言う始末。 出てきた夕飯も2口くらいしか食べず、あれはまずいからイヤ、これはしょっぱいからもういらない、それはのど越しが悪いから食べたくない、という感じ。 この人は何を考えているのだろうか? 元気になってもらいたくて、私も父も居辛くなるのを我慢しながら会社を休んだりして、毎日一生懸命介護しているのに。 妹だって片道2時間近くかけて、旦那をほったらかして来ているのに。 それなのに、この人は本気で元気になる気はあるのだろうか? そう思ってしまうほど、頑張っているとは感じられない。 病気で死んでしまうかもしれない可能性のある母。 病気に負けちゃうのも悔しいけど、出来る努力もせずに負けるなんて、私は絶対に許さないからね!!!

入院・その7

「お母さん、癌だって。」 いつものように仕事が終わり、隣に行くなり妹がそう言った。 「え?嘘でしょ?」 「本当。」 「冗談で言ってるんでしょう?」 「違うよ。」 「・・・・・・・・・・嘘でしょう?」 「本当。」 私は父のほうを見て 「本当なの?」としつこく念を押すと、父は 「お母さんはメルカゾールの副作用じゃないかもしれないんだって。検査してみなくちゃわからないけど、最悪の場合、白血病か膠原病の疑いがあるんだって。」と説明した。 母の容態はいつまでたっても良くならない。 薬疹と思われるものはなくなってきたというのに、相変わらず食べれないし、熱は下がらないし、ちっとも回復しない。 昨日も結局、吐いてしまったらしいし・・・ それで、担当医が仮説を立てたようだ。 熱が下がらないということは、抗生物質を点滴で投与していたため、もしかしたら抗生物質熱であるかもしれない。 これは点滴をやめることで3~4日様子を見て、熱が下がればそうだったということになる。だから、点滴は今日からやめる。 結核の検査は今日行った。結果は数日後に出る。 こんなふうに消去法でひとつづつ可能性を確かめてみて、もしも抗生物質熱でもなく、結核でもなかった場合、あとは考えられる可能性は白血病か膠原病だ。 担当医の説明はこんなものだったようだ。 私は目の前が真っ暗になった。 白血病? 膠原病?? お母さんが??? 妹は母がわがままばかり言っていて、元気になろうという気持ちに欠けていると憤慨していたが、私は頭のどこかがボーっとしていて、ぼんやりと『どうして私はボーっとしちゃってるんだろう。なんでもっと落ち込まないんだろう。』なんて考えていた。 明日は食道と胃を調べるために胃カメラを飲むらしい。 もう何も考えたくない。

入院・その6

仕事中、妹から短いメールが携帯に届いた。 『お母さん、元気になってきてるよ』 私はお仕事が終わって、すぐに隣の実家に行った。 妹は今夜は実家に泊まり、翌日また母の看病に行って、そのまま自分の家に帰る予定になっていたから。 「お昼からだけど、少しづつ食事も食べたみたい。お昼は青汁を2口。夜はジュースをマグカップ一杯飲んだよ。ヨーグルトドリンクはまずいと言って1口しか飲まなかったけど。それに、うんちを2回したけど、2回ともちゃんと固形のうんちだったよ。すごい進歩だと思わない?」 妹の声は弾んでいた。 それを聞いていた父も私も、すごくほっとした。 私たちが二人で見舞いに行った先日の土曜日や、私が一人で看病しに行った昨日などは、なんだか容態があまり良くなかったし、憂鬱な気持ちで帰ってくるような状態だったから・・・ また、血液検査の数値も少しづつ良くなってきているとK先生が言ってくれたと言う。 神様、昨日は悪態ついちゃってごめんなさい。 でも、本当の勝負はこれからだ。 今夜母がこのまま吐かずに明日を迎えることが出来たなら、そして、明日も今日のように少しづつでもご飯を食べれたなら、確実に回復に向かっていけるはずだ。 それに、熱はまだ38度弱あるようなので、熱も下がってくれれば、もう言うことはない。 ああ、どうかこのまま母が回復に向かっていけますように・・・!

入院・その5

父が今日から日記をつけると言い出した。 母の闘病日記をつけようというわけである。 と言っても、書いたのは結局私なのだが(笑)。 母の状態があまりにも回復しないので、父も不安なのだろう。 私も酷く憂鬱な気分だし、母の前ではそんな表情を見せるわけにもいかないので、気丈に振舞う分、病院を出ると俯いて歩くようだ。 そんなこともあって、父は母が入院するまでどんな状態だったかと、入院後の母の経過がどんな感じなのかを日記にして、何か役立つ治療法や、本当にメルカゾールの副作用なのかなどを知る手がかりを見つけたいのだろうと思う。 母は行動的な人で、町内でもずっと役員の長を引き受けていて、プライベートでも遊びに行くグループがいくつかあったりして、母の入院に伴い、色々なところや人から電話や励ましの手紙などが届いた。 母は起き上がることさえままならないので、すべて私が病院に持って行き、読んであげたり報告したりしている。 ありがたいことだ。 みんなみんな母を心配してくれており、特に母は普段から元気でパワフルな人だっただけに驚きを隠せないようだった。 中にはうちに手紙をじかに持ってきてくれた人もいて、その人などは私の顔を見るなりジワ~っと涙を潤ませていた。 今日いきなり日記を書くことを思いついた父は、私にそれをやらせたので、思った以上に手間取ってしまい、病院に着いたのは15時半ごろだった。 今日は私だけが母の看護に行くことになっていて、父が送り迎えをしてくれることになっていたのだ。 母は私なら面会時間が始まると同時に来るだろうと思っていて、それを30分も遅れてやってきたので不機嫌だった。 もう1時間も前からおしっこを我慢していたと嫌味を言っている。 母のところに時計はなくて、いつも「今何時?」と私に尋ねるくらいだから、実際は『1時間』かどうかはわからないのだが、それくらい待ちくたびれていた、ということなのだろう。 ただ、今日は点滴の管に今まで見たことのない機械が取り付けられていて、それがあるためにいつものようにトイレに連れて行けないので、看護婦さんにそれをどうしたらいいか尋ねに行くと、結局看護婦さんに付き添われてトイレに行くことになり「今日は頭を洗ってもらうことになってるの。」と母がそのとき私にそう言った。 身体は時々拭いてもらっていた

入院・その4

今日は父と二人で母の病院に行った。 父は母が入院してから一度も母の元を訪れていないので、今日が初めての見舞いになる。 朝一でSクリニックのS先生に電話をして、母の情報不足を伝えると、S先生は快く、K先生宛ての紹介状と共に過去3年にわたる母のこれまでの症状や経過のデータを用意してくださった。 それを父と二人で取りに行き、その後に浄化槽のお金を支払いに行って、それからついでに母方の祖父母のお墓参りをして、それから母の病院には面会時間より30分早い14時半ごろ到着した。 父も母もよく言えば節約タイプ、悪く言えばケチで(笑)、浄化槽の点検の支払いは郵便局などでも出来るのだが、それだと手数料がかかるし、じかに支払いに行くと手数料がかからないばかりではなく、おまけのタオルがつくというので、普段は母に任せきりなのだが、父も私も初めての支払いで、道に迷いながらようやくたどり着いたという感じだった。 病院では「面会は15時からです。」と言って、30分前では受付してくれなかったが、15分前から受付を始めたので、早速面会バッチをもらって6階の母の病室に向かうと、母は珍しくいびきをかいて眠っていた。 今まで私たちが病院に行くと、こんな風に眠っていたことはなかったので、しばらく静かにしていたが、一向に目が覚めない様子だったので、父を連れていったん1階にある売店に行き、母が髪をとかしたいと言っていたのを思い出し、折りたたみ式のブラシと歯磨きセットと、唇が荒れていたので薬用リップを購入し、父にはジュースを買ってあげて、30分ほど時間をつぶした。 父は夜勤明けで一睡もせずに病院に来たので、もう眠くてどうしようもない状態だったようだが、私も昨晩はほとんど眠れなかったので、栄養剤を二人で飲んで気合を入れることにする。 15時半になっても母は眠っていたが、しばらくすると目が覚めて「いつ来たの?」と驚いていた。 どうやら昨晩発熱し、38度以上の熱で夜中に採血し、今朝方は37度6分くらいになったが、そのときもまた採血したとのことで、ここのところ年中採血しているので、両腕とも針のあとがたくさんあって痛々しい状態だった。 だから、昨夜はちゃんと眠れなかったのだろう。それで私たちが来たのにも気付かないほど寝ていたのだ。 母は薬の副作用で全身ぶつぶつだらけだったが、おなかのぶ

入院・その3

私は何のために今日お仕事を休んだのだろう。 母の病室が変わると聞いて、起き上がることさえ辛い母のために少しでも役に立ちたい。 そう思って会社の人たちに「また休むのか」と思われながら休みをもらったというのに、私が目覚めたのは15時。 15時から面会時間だというのにその時間に目が覚めてしまった。しかも、ガス漏れの点検のおじさんが来て、それで起きることになったのだから、これがなかったらもっともっと寝ていたかもしれない。 言い換えればそれだけ疲れてしまっているということでもある。 夕ご飯を食べて、掃除機をかけて、母の着替えや手ぬぐいや下着などを用意して、ゴミをまとめたり猫のトイレを掃除したり、汗だくになったのでシャワーも浴びて色々やったので、どうしても寝る時間が25時ごろになったのだが、それでも14時間も爆睡してしまったのだ。 大慌てで支度をして15時半ごろ家を出て、父が車で病院まで送ってくれたが、16時ごろに着いた。 母はすでに6階に移動していて「あ~あ・・・。私ってバカみたい。」と思いながら階段を上って病室にたどり着いた。 母には今日会社を休むと言っていなかったから、私を見てびっくりしていた。 「お前、会社はどうしたの!?」 「休んだんだ。今日病室が変わるって言うから手伝おうと思っていたんだけど、寝坊しちゃって結局役にたたなかったよ。ごめんね・・・・・・。」 母はそれには答えず 「それじゃあ、悪いけど車椅子持ってきてくれる?」と言うので、トイレに行きたいのかと思えば、吐きたいと言う。 慌てて車椅子を持って行くと 「ずっと吐きたかったけど、迷惑をかけたらいけないと思って我慢してたんだ。」 なんて言うので 「我慢なんかすることないじゃん!迷惑とか、そんなの気にすることないんだよ。そのためにこうして入院してるんだから。」 と言ったが、母は 「だって・・・・・・。」 と昨晩のことを話し始めた。 昨晩までは5階にいた母だったが、先生に『ちゃんと食べなきゃダメ!』と言われたので、夕飯は私が食べさせたのだ。 夕飯と言っても、出てきたものは『卵スープ』「オレンジJ(ジュース?)』『ジョア(プレーン)』の三つで、スープとジュースはマグカップ一杯程度の微々たる食事だった。 母はジョアは半分以上残したのだが、

入院・その2

今日は母の病院に行く前に、妹に付き合ってもらって車の運転の練習をした。 免許は7年前に取得しているのだが、もう3年ほどまったく運転をしていない。 だから、とても不安だったのだ。 運転は何とかできたが、すっかり臆病でへたくそになっていた。 以前のカンを取り戻すのにまだまだ時間がかかりそうだが、妹は「全然問題ないよ。」と言っていた。 身体がある程度覚えているから確かに運転も出来たし、病院まで乗っていけた。 でも、長期間運転していなかったから、自分に自信が持てなくて、何かあったときに対処できるか不安なのだ。 もうしばらく運転の練習をしたいと思う。 母はだいぶ顔色が良くなってきていた。 でも、当人は重病人気取りだ。 甘ったれた声で「熱があるの・・・」とか言っている。 入院しても母は相変わらず私の言うことは聞かず、わがままなことばかり言っている。 朝ごはんも食べたくないと言って拒否したのだそうだ。 理由は『起き上がれないから』だった。 でもね。 確かにトイレまで歩いていけないけど、ちゃんと一人で起きて車椅子に座れるのよ。 『起き上がれない』なんてことはないのよ。 その証拠に、私が病院に行ってから3回トイレにつれて行ったけど、3回ともひとりで起き上がって車椅子に乗れたもん。 でも、母の担当医になるK先生が往診に来た時に 「母が起き上がれないためにご飯が食べれないと言うので、面会は15時からなんですけど、お昼をたべさせてあげたいんで、お昼から来てもいいですか?」 と、母の前で聞いてみた。 だが、このセリフの『お昼から』あたりで先生は 「ご飯は食べてもらわなくちゃダメなんだよね。」 と母に厳しい口調で言い放ち、続けて 「点滴なんかじゃ治らないよ?食べなきゃいつまでだって体力は戻らないし、だいたい、あなたよりもっともっと酷い症状の患者さんがいたけど、その人はあなたよりずっと熱も高かったし、のどの炎症だってあなたとは比べ物にならなかったけど、ちゃんと頑張ってひとりで食事をして、3日もしたらひとりでトイレにだって行けるようになったよ。」 と最後までセリフを言えないような勢いで言われてしまった。 「でも、もう長いこと食べてないんで、体力が落ちちゃってるんだと思うんですよね。せめて自分で楽に起き上がれるよう

今度こそ、入院

母が入院した。 13日の夜中に近い時間に救急車を呼び、入院させてもらおうと総合病院に連れて行ってもらったが、実はこのときは帰されてしまったのだ。 母は血液検査で白血球が少なくなっていると判明。 一週間以上も固形物を食べていないために衰弱していて、私たちでは手に負えないと思って救急車を呼んだのに、点滴をして帰されてしまって・・・。 でも、翌朝再び救急車を呼んで同じ病院に搬送され、ようやく入院の運びとなったのだ。 身内の入院に携わるのは初めてで、こんなにも手続きに時間がかかり、こんなにも疲れるのかということを初めて知った。 家を出たのは午前9時台だったが、入院することになって実際に部屋に運び込まれたのが午後4時弱。その間ずーっと母は点滴を打ちっぱなしの状態で、検査に次ぐ検査で、妹が一緒に行動してくれたのだが、私と妹はただただ待合室でボーっと座りっぱなしだったのだ。 病室は5階で、エレベーターは混んでいるので階段を何度か往復する羽目になったのだが、普段座りっぱなしの仕事をしている私はひどい筋肉痛になってしまった。 しかも、家に帰ってきたのは午後8時台だったが、本当にクタクタになってしまって、父が夜勤で9時に出勤して行ったので、それを送り出した後、妹と少し話したりして結局自分の部屋に帰ってきたのは11時過ぎだった。 気絶するように倒れて、そのまま寝た。 私の風邪はほとんど回復しているが、母は入院するほどひどい状態になっているから、これを機に1日も早く回復してほしいと願う。

入院

ここのところずっと母の話題だけれど、その母がとうとう入院することになった。 今日は父がお休みで家にいて、私はお仕事だったから、ずっと父が母を看ていてくれてたのだが、在宅業務の私の元へ20時過ぎにベランダから父がやってきて、私はそのとき電話占い鑑定をしていたのだが、ガラス越しに紙面で『救急車を呼ぶかもしれない。』と伝えてきた。 私はとっさに「えっ?」と思ったが、まさか鑑定中のお客様を放り出すわけにもいかず、結局そのお客様の鑑定は22時過ぎにまで及び、鑑定を終えてすぐに隣に行くと、妹が駆けつけていたところだった。 母の容態は昼間は微熱くらいにまで下がったものの、夜になると熱が出てくる状態で、ロクに食事もとれないし、病気の身体には良くないものばかり食べようとするし、つきっきりでいることも出来ないし、たとえつきっきりで居たとしても母の病気を治してやることは何も出来ないのだ。 入院も仕方ないのだろう。 妹はしっかりしている。 「お母さん、元気そうなフリはしちゃダメだよ。もう一歩も動けません、みたいなアピールをして、まずは車椅子を確保しよう。そして、明日は誰を差し置いても一番に身体のブツブツを診てもらえるように、今のうちからよ~~く病院側に言っておけばいいよ。」と色々と言っていた。 妹は過去に2~3度入院経験があり、どうやらそのときに培ったものらしい。 本当は明日、私と二人で皮膚科に行って、身体中のブツブツの原因が薬物アレルギーのために出たものなのかどうかを調べる予定だったのだ。 明日はそのためにお仕事をお休みしているのだが、どうなるのだろう・・・ というか、どうしたらいいのだろう・・・・・・。 今日は朝から雨が降り、湿気が強く蒸し暑い一日だった。 救急車が来るまでの間、私たちは母が入院するための用意をせわしなくして、妹が母と一緒に救急車に乗り、父は車で後を追うことになったのだが、私はなぜか母から聞いたこんな話をぼんやり思い出していた。 私がもうこの世に生まれ、妹が母のおなかの中にいた頃、その当時は今の家ではない借家に住んでいて、テレビの映りが悪く、アンテナの修理に来てもらったことがあったそうだ。 そのときの借家は天窓になっていて、修理の人に注意を促していたが、修理を終え、一度は無事に屋根から下りたものの、忘れものをしたこと

寝込む母・その4

母は寝込んでいるが、私は明日からお仕事に復帰することにした。 随分休んでしまった・・・。 けれど、そうそう休んでもいられないし、このまま怠け癖がついてしまいそうでもあるので、自戒しつつ気を奮い立たせることにした。 母は相変わらず信じられないことをしている。 私の知らないときに、なんと!牛乳なんか飲んでいた!!!!! 母は普段でも牛乳を飲んだりすると、おなかを壊したりすることが多々あるのだ。 なのに、なぜ吐き下しをしている今、牛乳を飲むのか理解できない。 アホかっ!?ヽ(*`o´*)/ しかも!!!!! なんと、今月まだ旅行に行く予定があったのだ! 4・5日と旅行に行って、その後、25・26日にも旅行の予定を入れてあったのだ! 父と二人で「それは取りやめなさいね。」と言ったら、母は黙ったままだった。 きっと、回復したら行くつもりに違いない。 まったく~~~~~っっっ ((o(>皿<)o)) キィィィ!! もう歳なんだからっ もう歳なんだからっっ もう歳なんだから~~~~っっっ 「小姑」とか思ってないで少しは言うことを聞け~~~~~~!!!! 自重しろ~~~~~~!!!!!! щ(:゜д゜:щ)ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・

寝込む母・その3

私の母は普段はとてもパワフルな人で、良い言い方をするなら「快活」なタイプ。 でも、言葉の響き的にピッタリなのは「我が道を行く」タイプという感じ。 とにかく強い。 何と言っても言うことを聞かない。 好きなようにやりたいし、母のためを思って言ったことでも喧嘩になってしまう。 今回もそう。 旅行前から母は具合が悪く、父にも私にも散々「やめなさい」と言われていたのだ。 でも母は言うことをきかなかった。 父などは会社からわざわざ私のところに電話するほど母を心配していたというのに・・・。 「旅行から帰ってきても絶対に寝込んだりしない」という条件の下に旅行に行き、帰ってきたその日から寝込んだ(ーー;) しかも言い草がいい。 「これは旅行の所為じゃないのよ。旅行になんて行かなくてもこうなるものだったのよ。」 とは言え・・・寝込んでしまったものは、仕方がない。 どうせこうなることを心のどこかで予感していたのだ。 だから、私たちはそれを受け入れるしかなかった。 つい今しがた、隣家の実家から戻ってきたのだが、30分くらい母のマッサージをしてきた。 スープも作ってあげた。 りんごもすって蜂蜜と混ぜて飲ませてあげた。 私だって風邪のために老婆声状態で、ものすごく体調が悪いのに・・・(TT) ただ、私は遊びに行くこともしないで、日々安静にしていたからもうすぐ治りそうだ。 でも、言うことを聞かない母はあんな状態。 しかも!!!!! あんな状態になりながらも言うことを聞かず、胃が弱っているから食べ物は選べと言っているのにレーズン入りの食パンを焼いて食べたりしたらしい。 あんのばばぁ~~~(▼▼メ) なぜおのれはこんな状態になっても言うことを聞かないんだ!!! バカタレがぁぁぁ~~~~~っっっ!!!! ごほっっごほっっっ ぜ・・・喘息が出てきたのでもう寝よう。 ああ・・・色々な意味で頭痛がする・・・・・・。

寝込む母・その2

母は今日いちにち寝込むと決めたようだった。 朝、私にそう宣言したのだから間違いない。 私も風邪が治らないので、一日寝込むことにした。 あ~あ、つらいよ・・・(T_T) 父はなんだかんだ言って母を大事に思っている。 それは普段の何気ないやりとりでも感じることだが、たとえば、一緒に夕飯を食べたとする。 すると、父は「らっきょは身体にいいんだって。」といいながら自分と母の器にらっきょをひとつ入れる。 そしてフタを閉める。 フタ閉めちゃうんだぜ!? 私は!? 俺様の分は!?ヽ(*`o´*)/ 今回だってそう。 母は言うことをきかなくて悪化したのだ。 だからある意味当然の報いと言える。 なのに、母のことはうんと気遣って大事に扱って、安静にしていてもなかなか治らない私には、平気でお茶碗をあらわせたりする。 とにかく、明らかに私のことは粗末に扱っているのだ。 そのクセ、父は私にこんなことを言った。 「なぁ、イ○痔は手術しておいた方がいい?」 「はぁ?」 「ほら、下の世話をしてもらうとき、どうかなーと思って。」 「・・・・・・・・・・(▼▼メ)」 ほぉ~、なにかい。 キミはこれだけ私を粗末に扱っておきながら、下の世話をしてもらうつもりかい? してもらえると思ってるのか? この私に(▼▼メ)

寝込む母

母が帰ってきた。 予想通り、体調は悪化していた。 あたりまえだ。 あんなにフラフラしながら私たちの反対を押し切って旅行に行ったりしたのだから。 父と私はここぞとばかりに攻め立てたが(鬼っ)、いくら病でも母は強い。 「旅行に行かなくたってこうなってたのよ。旅行に行ったから悪化したわけじゃないんだからね!」 などと言っている。 コイツ・・・なんて自己中心的な性格なんだ(ーー;) 母の辞書に「反省」という文字はない。 旅行前はうるさく言う私たちにこう言っていたのだ。 「旅行に行って帰ってきても寝込むようなことは絶対無い!」 だが、舌の根も乾かぬうちに、そんなことを言ったことはないかのように寝込んでいる。 私なんてどこにも出かけずただ毎日横になっていたというのに、それでもなかなか治らないのだ。 私よりもうんと年をとっている母が、あれだけの無茶をして回復するわけがない。 ああ・・・頭痛がする・・・・・・。

はじまりの日

いきなり風邪をひいてしまった・・・。 声はガラガラで、老婆みたいにしわがれてしまっている。私は喘息を持っているので、風邪をひくとすぐに声が枯れてしまう。 かなしい・・・(T_T) 実は、母も体調を悪くしている。 それなのに母は今週の土・日と旅行に行く予定だ。 「さつき会」と命名したグループがあって、メンバーは母の学生時代の友達たちらしいのだが、5月じゃないのに旅行に行くことになっているらしい。 父などはとても心配していて、わざわざ仕事中抜け出して私のPHSに電話をかけてきた。 「俺から電話があったということは言わずに、さもお前の意見のようなふりをして、お母さんに『具合どう?顔色すごく悪いよ。旅行は行かない方がいいんじゃないかな。』と言って来い。」と、セリフまで決めて私に言ってきた。 ああ・・・私はそういうのって苦手なんだよなぁ。 ついていい嘘と悪い嘘と、つかなければならない嘘と、いろいろあるけれど、なんであれ「嘘」は下手だ。 それでも私は「わかった」と返事をして、早速隣家にあたる実家に行った。 だが、母を見るなり顔が無意味にニヤニヤしてきてしまう。 自分で自分があやしい。 『私はここで嘘をつかねばならないのだ。母のためなんだ。』と心の中で思いつつ、しらじらしい自分がどこか滑稽に思えて、結局正直に打ち明けてしまった・・・。 でも、母は旅行を取りやめるつもりなど毛頭なかった。 母は、たとえ命がかかったとしても、自分のやりたいことはやるタイプだ。 私は忠告はしたし、もう寝ることにした。 母はきっと旅行に行って、うんと具合が悪くなって帰ってくるだろう。 そんな予感がしていた。