入院・その5



父が今日から日記をつけると言い出した。
母の闘病日記をつけようというわけである。
と言っても、書いたのは結局私なのだが(笑)。

母の状態があまりにも回復しないので、父も不安なのだろう。
私も酷く憂鬱な気分だし、母の前ではそんな表情を見せるわけにもいかないので、気丈に振舞う分、病院を出ると俯いて歩くようだ。

そんなこともあって、父は母が入院するまでどんな状態だったかと、入院後の母の経過がどんな感じなのかを日記にして、何か役立つ治療法や、本当にメルカゾールの副作用なのかなどを知る手がかりを見つけたいのだろうと思う。

母は行動的な人で、町内でもずっと役員の長を引き受けていて、プライベートでも遊びに行くグループがいくつかあったりして、母の入院に伴い、色々なところや人から電話や励ましの手紙などが届いた。

母は起き上がることさえままならないので、すべて私が病院に持って行き、読んであげたり報告したりしている。

ありがたいことだ。

みんなみんな母を心配してくれており、特に母は普段から元気でパワフルな人だっただけに驚きを隠せないようだった。
中にはうちに手紙をじかに持ってきてくれた人もいて、その人などは私の顔を見るなりジワ~っと涙を潤ませていた。

今日いきなり日記を書くことを思いついた父は、私にそれをやらせたので、思った以上に手間取ってしまい、病院に着いたのは15時半ごろだった。
今日は私だけが母の看護に行くことになっていて、父が送り迎えをしてくれることになっていたのだ。

母は私なら面会時間が始まると同時に来るだろうと思っていて、それを30分も遅れてやってきたので不機嫌だった。
もう1時間も前からおしっこを我慢していたと嫌味を言っている。
母のところに時計はなくて、いつも「今何時?」と私に尋ねるくらいだから、実際は『1時間』かどうかはわからないのだが、それくらい待ちくたびれていた、ということなのだろう。

ただ、今日は点滴の管に今まで見たことのない機械が取り付けられていて、それがあるためにいつものようにトイレに連れて行けないので、看護婦さんにそれをどうしたらいいか尋ねに行くと、結局看護婦さんに付き添われてトイレに行くことになり「今日は頭を洗ってもらうことになってるの。」と母がそのとき私にそう言った。

身体は時々拭いてもらっていたが、ずっと寝っぱなしで、頭を洗ったりはしていないので、自分から洗ってほしいと頼んだようだ。
トイレの帰りにそのまま看護婦さんと頭を洗いに行くことになった。

若い看護婦さんだったが、ものすごく丁寧に丁寧に頭を隅々まで洗ってくださって、母は本当に気持ちよさそうだった。
でも、結構それだけで疲れてしまったのだろう。
その後は気持ち悪くなってしまい、夕方には熱も上がってきたのか、苦しみだして、18時に痛みや炎症を抑える薬をもらって飲んだが(これは昨日から夕方にもらうようになったお薬)、一向に楽になるような気配もなく、またさすったりもんだりしてあげようと思ったのだが、昨日そうしてあげたら、しばらくは気持ちよくて楽だったが、私たちが帰った後にもみ返しがきてしまい、夜中じゅう苦しくてどうしようもなかったと言うので、何もしてあげられないままに「もう寝るから帰っていいよ。」と言われ、いつもより1時間も早い19時ごろに病院を出た。

一向に症状が改善しない母。
入院したら少しづつでも良くなってくれるだろうと、父も私も、おそらく母自身も期待していただろうと思うので、それだけに、憂鬱でならない。

どうしてこんなにも回復しないのだろう。

昨日は少し胃の調子も良くなってきていたのか、何かを食べたそうにしていたのに(今日まで絶食だったから食べれないのだけれど)、今日はもう、うがいの時にも何度か吐きそうになって、胃が苦しい、辛いと言っていた。

こんな状態で、明日から何かを食べたり出来るのかしら・・・。
また吐いたりして苦しい想いをするんじゃないか。

いくら考えてもどこにも希望がないような気がして、父が迎えに来るのを待っている間、ずっと憂鬱で、顔を上げることも出来なかった。

明日から私はお仕事で、妹がしばらく来てくれて、父と二人で看てくれることになっているのだが、もう仕事もクビになったっていいや、という気分。

こんな気持ちで誰かの相談なんて、聞いてあげられる自信もないし、こんな言い方をしてはいけないけれど、私のこの憂鬱ともどかしさと比べたら、彼がこのごろ電話をくれないけど、気持ちが冷めたのかとか、不倫相手と旅行に行くけど、夫にバレないかとか、結婚しているけど、今後恋愛のチャンスがあるかどうかとか、そんな相談はどれもこれもくだらないと思ってしまいそう。

実際、そんな相談ばっかりだもの。

母は確かに自分の身体より旅行を優先したり、具合が悪いのに忠告も聞かず、消化に悪いものを食べたりして、入院前もメチャクチャだったかもしれないけれど、母はもう十分苦しんだし、私たち家族だって必死にサポートしている。
母が元気になったら、たとえ喧嘩になっても無茶をさせないようにしようとか、食生活も改善させようとか、毎日のように父たちと話したりしていて、それだけじゃ足りないのか?
神様はやり直すチャンスもくれないのだろうか?

まだ母は61歳だから(12月が誕生日だから、まだ61歳にはなっていないけれど)、あと20年くらい生きたっていいでしょう?

反省して、それを生かすチャンスくらいちょうだいよ。


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