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2020年7月23日にコメントを下さった方へ

こんにちは^^ 母に捧ぐ鎮魂詩を見に来てくださり、コメントまでくださって、 本当にありがとうございます。 まだ、学生の頃から見てくださっていたとのことで、 感性をフル回転させながら、色んなことを想像し、 考えてくださっていたんですね。 私は今、父と一緒に暮らしております。 正直、私と父は決して相性が良い方ではないのですが(苦笑) でも、父も、私も、お互いに、寄り添うというよりは、 適度な信頼と、程よい情を向け合うことで、 それを家族のきずなとしながら、穏やかな毎日を送っています。 母を思う気持ちは、父も、私も、いまだに変わらなくて、 2人とも、毎日お仏壇に手を合わし、 母の好きそうなものを買ってきてはお供えをしたりしています。 人生には、限りがあるんですよね。 知ってはいたんだけれど、母の死を通して、実感しました。 大切なお父さんと、どうかこれからも 後悔のない日々をお過ごしくださいね^^ 色んなことをお話しされると良いですよ。 そんな、言葉の数々や、何気ない日々が、 未来を生きていくための支えになるので・・・ いまだに、見てくださる人がいて、嬉しいです。 そして、想いを伝えてくださったことも、嬉しかったです。 こちらこそ、 本当にありがとうございました^^ また、気が向いた時にでも 見に来てやってください^^ コメント、ありがとうございました。 マリーより

管理人から皆様へ

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今回の移転に伴い、全てのページを作り直すことになったので、改めて素材屋さんを見て回ったのですが、母に捧ぐ鎮魂詩を立ち上げた頃と違い、当時、お世話になった大半の素材屋さんたちが閉鎖されていました。 このページに掲載している画像をくださったUika Dollさんの運営していた、素材屋DOLLさんもです。 それも仕方のないことです。 母に捧ぐ鎮魂詩を立ち上げたのは、2003年12月15日。 16年以上も前なのですから・・・ 16年前と違い、今ではブログが主流になり、サイトを持つ人は、企業さんでもない限り、滅多にいませんから、そんな時代の流れの影響で、素材屋さんの需要も減ってしまったのでしょうね・・・ 私がポエムサイトや、占いのサイトを運営していた頃、実際にお会いしたことはなくとも、信頼し合い、気持ちを分かち合った人がいます。 たとえば、素材屋MILK CATさんのkoreさんも、そんなひとりです。 亡き母のために、詩を送ってくださった人達もそうです。 そして、Uika Dollさんもそうです。 サイトだけを残して、もう何年も管理人が不在、という素材屋さんもありましたが、それでも、今回の移転に伴い、ページを作り直す際に、素材をお借りして使わせていただく、ということで、当時、お気持ちをいただいたことを、私が今日までずっと覚えていて、感謝しているのだ、ということを、このブログに残せたような気が勝手にしています。 でも、Uika Dollさんだけは、お気持ちをいただいていたのに、現在サイトが閉鎖されているため、素材をお借りする、という形を残すことが出来ません。 ですので、月姿姫~ツキジヒメ~を運営していた頃、今から16年近く前になるのですが、その頃にプレゼントしてくださった絵を、このページに残したいと思います。 そして、母を亡くして傷心の中にいた時、Uika Dollさんやkoreさんを初め、気にかけてくださったり、声をかけてくださったり、または、見守ってくださっていた皆様、あの頃から15年以上も先の未来にやってきた今の私から、改めて、感謝の気持ちを伝えます。 本当に、本当に、ありがとう! 今日にいたるまでに、しばらくネットから離れていた時期もあるので、ほとんどの人と音信不通になり、それぞれの道を歩んでいくことになった

私の想い

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『後悔先に立たず』ということわざがあります。 ものごとが終わった後になって、あれこれと悔やんだり残念がったりしても、いまさらどうにもならないという意味です。 母が亡くなり、私の心の中に後悔が残るとするなら、第一に、こんなにもそばにいながら、なぜ母の病にもっと早く気付いてやれなかったのか。 そして『自分は素人だから』という思いの裏に隠れて、不審に思う医師の診断や治療に、なぜもっと強く抗議しなかったのかということ。 母側から見れば、私がバツイチであること。 いくつになってもマザコンで、甘えてばかりいて自立しようとしないこと。 孫の顔を見れないことなど、私への色々な不満があったかもしれない。 でも、私は親不孝だと言われても、こうしてずっとずーっと長く母のそばにいて、長い間母を独占し 甘えられたことは幸せでした。 母は本当に色々な話をしてくれました。 私も色々な想いを母に打ち明けました。 母の若かりし頃のこと。 学生時代や社会人になって出来た仲間のこと。 飼っていた犬のこと。 ニワトリのお話し。 おじいちゃんとおばあちゃんが交わした約束のこと。 父に内緒で買ったアクセサリーの数々。 父とのなれそめ。 よく読んだ本のあらすじ。 二人で夢中になったゲームのこと。 お互いの人生観。 毎日毎日繰り返される同じような時間。 ときには激しい怒鳴り合いの喧嘩をしたこともあったりして、でも、親子だから『昨日はごめんね』なんて言わなくても、何となく仲直りして、いつもの毎日がすぐにやってきました。 顔を合わせない日なんてなかった。 言葉を交わさない日も一日だってなかった。 だからと言って、毎日が特別な一日だったわけではなく、他愛もない世間話しや愚痴の言い合いだったりして・・・。 そんなことの繰り返しがあったから、母亡き後、悲しいけれど 寂しいとは感じないのです。 『母が死んでしまった』 この出来事が悲しいのであって、私の心の中には母がくれた暖かい愛が、まるで冷めない湯たんぽのように存在していて、仏壇の前のお位牌と話しをするだけで、生前、母と語り合った頃のような充実感が得られます。 母が死んでしまったから、だから、もう母にしてやれることはなにもない。 そんなふうには思いません。 確かに母はもう居なくなってし

言えない言葉

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お母さん 早いもので、もう師走になってしまいました・・・。 今年一年を振り返ってみると いろいろなことがありました。 3月には、本当はお母さんと楽しみにしていた定年退職・・・ 9月には、待ち望んでいた初孫誕生・・・ 11月には、お母さんの3回忌(法要は10/29に行いました)・・・ そして 来年1月に出版される輝夜の詩集が12月に届きました 忙しい一年でしたが あっと言う間に過ぎてしまった気がします。 年賀状ですが・・・ お世話になった方達へ出すためのハガキは買いましたが 『おめでとう』と言う言葉にまだまだ抵抗感があり 自分の方からは出せそうに有りません。 失礼だとは思いますが 頂いた方へのお返事だけにしようと思っています。 神様に与えられたこの試練、 苦しいです・・・が 残された家族で助け合い協力し合って 頑張って行きたいと思います。 これからも見守っていてくださいね。 やすらかに・・・ 過ぎし日の 妻を亡くして はや二年 まだまだ書けぬ 年賀の言葉 このページの、この文だけは2020年3月に書いています。 ですから、これは本当に後日談となりますが、 父も、私も、母の死後、 どうしても新年のあいさつの言葉を口にすることが出来ず・・・ 明けましておめでとう この言葉をようやく言えるようになるまでに 実は数年かかりました。 そうそう。 月姿姫~ツキジヒメ~を運営中に 文芸社との共同出版で 「現人恋詩(うつせみこいうた)」という詩集を出版しています。 櫻乃聲 輝夜(おのごえ かぐや)で出版しているのですが、 先ほど、この名前で検索をしたら Amazonで15,268円で売っていました。 ものすごい高額になっててビックリですよ(^^; 素材: 十五夜 様

初孫誕生

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お母さん、 9月13日に下の娘が出産しました。 待ち望んでいた初孫の誕生です! 3400gもある、丸々と太った男の子で 陣痛が始まって24時間と30分間の大仕事だったそうです。 母子共々に頑張ったんですね。 お母さん、 孫の顔を見ることが出来なくて残念だね・・・とは言いません。 だって、孫が生まれてくるまでの過程を お母さんがズ~ッと見守ってくれていたんでしょう? ありがとう・・・。 義母さんが優しい方で お母さんの分までお世話していただいているそうです。 感謝です・・・。 私は仕事の都合がなかなかつかなくて 出産後、娘が退院する一日前に やっとお見舞いがてら孫に逢いに行ってきました。 初孫との初対面です。 ♪こんにちは、赤ちゃん。私がジィジィよ♪・・・ってね! でも、正直に言って 可愛いな~とは思いませんでした!!!(爆) 我が子のときもそうだったけど 生まれたばかりの赤ん坊ってそんなに可愛くないんだよね(^^;) その後ズ-ッと見ていませんでしたが 娘がメ-ルで写真を送ってきたり、電話で話を聞くと 産後の肥立ちも良くて母子共に順調に来ているようです。 娘からの便りを見聞きしていると 可愛くてしょうがない様子が見受けられ安心しています。 10月29日にお母さん、あなたの3回忌の法要がありましたね。 娘は孫も連れて来てくれました。 孫にお仏壇とお墓で逢うのは初めてでしたよね。 孫を見ることが出来て、お母さんも嬉しかったでしょう? このままスクスクと育ってくれることを願うばかりです。 お母さん、これからも家族みんなを見守っていてくださいね。 初孫が出来て、本当に良かったね。 お母さん、 ズーッと見守っていてくれて、ありがとう。 これからも、どうぞ安らかにおやすみください。 2年前の11月6日に母はこの世を去りました。 生前の母が一度だけ、こんなことを言ったことがあります。 「なぜ、私達夫婦は孫の顔を見ることが出来ないのかしら。 私達は私達なりに真面目に人生を送ってきたのに それでも孫の顔を見ることが出

巡る春に・・・

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あなたの愛した庭に 今年も花が咲く 共に歩み 重ねた思い出が 風に乗せて 香り 漂いながら そこに懐かしい面影を連れて来る 季節は巡り 何度目かの春がやって来る あなた亡き今も変わらずに 言葉交わさぬ約束 何度同じ春を 何度違う春を迎えるのだろう また 逢えるその日まで by りかこ☆ 私がブログに掲載した父の写真を見て つむいで下さったとのこと・・・。 いつも気にかけてくださり、嬉しく思います。 2005年3月いっぱいで父は定年退職を迎え けれど「ご苦労様でした!」と言い合える伴侶を失い さぞや寂しかっただろうと思います。 父が庭をいじるのも、そこで草花や菜園を育てるのも みんな母のためだったと言っていました。 悲しくとも、寂しくとも、時間は流れ 私たちは、まだ、生かされていますから これからも巡る季節を生きていかねばなりませんね。 俯かず、ちゃんと、顔を上げて・・・・・・。 ※この詩はポエムサイト「月姿姫~ツキジヒメ~」を運営していた頃  私の亡き母のために紡いでいただいた言の葉です。 素材:クリエイター =  Selling of my photos with StockAgencies is not permitted 様 / DL先 =  Pixabay 様

父の定年退職に寄せて

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2005年3月31日、父が定年退職を迎えた。 父は高校を中退し、中途採用という形で、この会社に入った。 父は元々は九州出身だったので、神奈川に出てきて、この会社に入ることとなったのは、後の運命を考えると、やはり父にとって人生の大きな転機と言える。 この会社に入らなければ、母と出会うことはなかったのだから・・・ この会社は名の知れた車の大手産業メーカーだ。 父たちの時代では、ここに就職できたなら、もう将来は安泰と思われたようなところだろう。しかし、倒産しかかり、会社生命をかけた苦難の時代がしばらく続いた。 この頃、父は色々な理由から思い悩み、体重も10キロくらい減ってしまった。 その理由のひとつには、私にも責任がある。 私は20代前半で結婚し、実家の隣家に住むことになった。 この家は父たちの持ち家であり、私たちが結婚する頃に購入した家だった。 父たちの考えとしては、少しでも私たちに何かを残そうという気持ちがあったようだが、私は数年後に離婚してしまった・・・ それ以後、父はこの家の借金がとても重荷に感じていたようだ。 自分たちが住んでいる家のローンはほぼ終わっていたのに、新たに背負うこととなった隣家のローン。 それでも、私が継いだなら、これも意味のあるものだと思えたのだろうが、私は離婚してしまったし、しかも、占い師などという、父から見れば何の保証もない不安定な仕事をしている私に、期待が持てなかったようだ。 そこへきて、勤め先が倒産するかもしれないという不安感。 倒産しなかったとしても、リストラされるかもしれないという不安感。 父は本当に長い間、毎日毎日ふさぎこみ、夜勤の日などは、昼間は寝ていなければならないのに、眠れないらしく、無言のまま熊のようにウロウロと部屋中を歩き回り、そんな日々を数ヶ月も過ごした。 いつも強気な母が私に「お父さん、自殺するかもしれない」などと弱気になって助けを求めてきたほどに、父の様子は深刻に思えた。 私は父に言った。 「お父さんの会社が倒産しかかっていて、生き残るために人員を削減しなければならないという事情は私にだって良くわかる。削減するなら年寄りから・・・というのも、仕方がないことなんだろうとも思う。でもさ、身内の私としては、お父さんたちが今までの会社を支えてきたのに、そんな