転院に次ぐ転院
母の容態についてですが、この3日間色々ありました。
今までK病院にて、『メルカゾールの副作用が原因』いう医師の判断で、約2週間ほど入院しましたが、急変し、心不全を起こしたということで、翌日、甲状腺の専門医であるI病院に転院しましたが、実はその翌日、さらにO病院へ転院しました。現在はO病院で治療しています。
そして、母の病名がハッキリと判明しました。
病名は『皮膚筋炎』。
今現在膠原病治療を行っています。
しかも、母の場合は甲状腺疾患と急性アレルギーを併発しています。
専門用語のようなものばかり並べてしまいましたが、大まかに私が解釈している範囲でお話しすると、身体を構成する細胞同士を結びつけたり、臓器を支えたり、細胞に酸素や栄養を補給する重要な役割を担っている組織があり、これは特に皮膚や関節、血管などに多くある組織なのですが、この組織を構成している成分は『コラーゲン』と呼ばれるたんぱく質で、このコラーゲンに炎症が生じて全身的に犯す病気のことを、大まかにひとまとめにして『膠原病』と言うのだそうです。
そして、母の病名である『皮膚筋炎』というのは、皮膚と筋肉が犯される病気で、40歳以上の発病が多く、患者数は女性の場合が圧倒的に多く、その原因は不明で、首や肩、腿など身体の中心に近い部分の筋肉に脱力感があり、紅い斑点が身体のあちこちに出来てきて、たんを伴わないセキと呼吸困難を伴う肺炎になったりするそうです。
その上、筋肉が破壊されて生じるCPKという酵素が血中に増加し、皮膚と筋肉の症状は副腎皮質ホルモン剤や免疫抑制剤で改善されたりしますが、肺炎を起こしている場合や悪性腫瘍を伴う場合は経過が良くないとのこと。
母は残念なことに、経過が良くないとされている肺炎を伴っています・・・。
手の指の爪の周りは赤くなり、ところどころ皮膚が硬化し、首や鎖骨の周辺はかぶれたように赤くなり、背中はほぼ一面赤くなっていて、しかも、母の場合は、これまでの日記で記載していたように食べれませんでしたから、食道の動きが低下している可能性もあります。
関節も痛み、口の中には、まるで牛乳を温めたときに出来るような膜のような真っ白なカビが、舌や歯茎や唇の内側、のどなど一面に生え、高熱が続き、全身がむくんでいます。
現在の母は、目が開けられないほど顔がむくみ、体重はおよそ15キロくらい痩せ、メルカゾールの服用を止めたために甲状腺疾患も進行してしまい、肺の筋肉が硬くなってきて、十分に酸素をとることが出来ないために酸素マスクを着用し、ただ寝ているだけで、一日中走り続けた人のようなエネルギーの消費があるため、起き上がることも許されず、尿道に管を通して尿を排出し、おしめをして、高熱にうなされ、痩せたために布団さえ重くて支えられず、体中が痛み、自力で寝返りをうつ力もなく、24時間点滴をしたまま、心電図をとり、年中CTスキャンや採血などの検査をして、水かお茶以外の摂食は禁じられ、うなされている状態です。
もうニコリともしなくなりました。
ろくにクチもきけません。
こんな状態でも母には羞恥心があり、おしめでは排便は出来ないのですが、こんなにも苦しんでいるというのに、もしも3日ほどして排便がないようなら浣腸をするのだそうです。
甲状腺疾患にも色々ありますが、多くは『自己免疫疾患』と呼ばれる疾患が原因で、これは自分の組織に対する免疫が起き、自分の組織を攻撃したりする働きをするものを自己免疫疾患と言うのだそうです。
たとえば、風邪をひいたとします。風邪菌が体内に入ってくると、これを異物とみなして排除しようとする働きが起きます。
これが『免疫』と呼ばれるものです。
ところが、自分の組織を異物とみなし、排除しようとする働きが起きてしまうのが『自己免疫』と呼ばれるもので、これが原因で起こる病気のことを『自己免疫疾患』と言うのです。
母の甲状腺疾患や膠原病もそうですが、たとえば糖尿病などもこれです。
実は、母はこうなるずっと以前から糖尿病の性質もあると言われていました。
これらは早期発見が大切で、何らかの手立てをすれば命を落とすまでのことはありませんが、完治することもありません。
これらを踏まえた上で、母には運命を大きく分けた重大な分岐点がありました。
母はK病院に14日から入院しました。この時点では車椅子ですがトイレに行くことも出来、会話も出来、わがままも悪態もついていましたし、髪型が崩れてしまうことや寝巻きの柄、スリッパのデザインなどにも気を使い、衰弱し、病気ながらも精神的なゆとりがありました。
そもそも入院する以前に、ずっと長い間お世話になっていたSクリニックにて
「メルカゾールの副作用かもしれない。でも、気になる皮膚の硬化もあるので、紹介状を書くからK病院の皮膚科で調べてもらってほしい」
とのことでK病院に行ったことが始まりでした。
そして、第一のミスは、K病院の皮膚科でろくに検査もせず、ただ眺めただけで「内科で調べる方がいいのではないか」と判断され、内科に回されたことでした。
さらに続いた第二のミスは、入院当日に胸部レントゲンを撮り、その時のレントゲンに肺炎とみられる炎症が写っていたにも関わらず、これを見逃されたことです。
つまり、誤診です。
その後、デリケートさとは無縁な医師が母の担当医になり、約2週間もの間、見当違いでずさんな治療をされ、この間に母は最悪な状態にまで悪化したのです。
昨日の段階で、O病院の担当医には、こんなふうに説明されました。
母の症状は猶予のない状態で、大量のステロイドを投与する必要性があるが、この治療は最終手段の治療であり、しかも、ステロイドは肺だけに的を絞って投与するということは本来難しく、激しい副作用・または後遺症を覚悟しなければならない。
しかも、母はもしかしたら何らかの感染症も併発している可能性があり、ステロイドがうまく効いて肺炎は抑えられたとしても、今度は感染症が原因で死ぬことも考えられる。
また、皮膚筋炎が原因で起きた肺炎が急速に進行するものだった場合、発症してから3~4ヶ月、現状の母の状態を考えると、今から3~4週間で死に至るかもしれない。
ここまでで長々と書きましたが、私が学んだことは、俗に言う『病院の手落ち』というのはさまざまな原因が考えられるということです。
たとえば、K病院で母の担当医だったK医師は東大の教授で、しかも私が現在住んでいる周辺では甲状腺に関して一番だと言われていた医師でした。
甲状腺疾患に使う薬はそれほど多くなくて、メルカゾールはその中でも代表的な薬で、しかも、これはアレルギーが起こりやすいことでも知られており、これを用いるときには医師が患者にそのことを十分に説明した上で使う薬であるほどです。
ということは、K医師は、この薬のアレルギー症状を多く診る可能性があります。
現に母が入院中にもメルカゾールのアレルギー(副作用)で入退院している患者はたくさんいました。
なのにもかかわらず、母がメルカゾールのアレルギーではないということを見抜くことが出来ませんでした。
母はI病院で今後も甲状腺疾患のためにメルカゾールを服用して問題ないと判断されたんです。
また、私の住む町は都心から離れた田舎です。
田舎の病院はたとえ『総合病院』などと呼ばれる大きな病院であっても、設備は都心のそれに劣ります。
たとえば、レントゲンをとる機材ひとつとっても、田舎の病院では都心のものと比べると良くありません。
簡単に言ってしまえば、カメラマンが使うカメラとインスタントカメラの『差』のようなものです。
つまり、映りが悪いわけですから、早期発見がわかりにくい場合が出てきます。
また、もともと田舎ですから、先生同士の講義や会合のようなものも、都心のそれに比べれば、意見交換・情報交換のレベルに差があります。
人口が違うわけですから、都立O病院とK病院はアメリカと名もない遊牧民ほどの文明の差があるということです。
母は今、必死に病気と闘っています。
スイカが食べたい、ソーダ水が飲みたいと、ロクに声も出ない状態で必死に訴えますが、これすら食べることを許されず、最悪の場合、死ぬかもしれない可能性を現実的に背負いながら。
もし助かったとしても、母はこれまでどおりの生活は出来ないかもしれません。
ただ、救いもありました。
何度も検査をして経過を見てみると、母の病気の進行状態はそれほど早いわけではないということでした。
進行が早くないということは、それだけ厳密に調べる時間と、今後の治療に関して考える時間もあるということですから。
これがこの3日間の報告となります。