病床で 苦しむ妻に 頑張れと 心でさけび 口には出せず 入院する頃の母は 歩いて3歩ほどの距離にあるトイレにも 這いずってじゃなければ行けない状態で 入院中は24時間点滴で、ずっと寝たきり状態で、 トイレの時だけ車椅子で移動という日々でした。 身体中が痛いと言って息苦しそうな母・・・ 最期は自発呼吸も出来ず 肺に管を入れて酸素を直接送るような状態になり それでも「頑張れ」なんて言えなかった。 きっと父もそんな気持ちだったのでしょう。 逝く時に あなたは夢枕(ゆめ)に逢いに来て ほほえみかけて 別れを告げた 母の危篤の知らせは 午前3時台に電話で受けました。 父はその頃母の夢を見ていたそうです。 滅多に夢など見ない父が、このとき 草原のようなところを母が風に乗って フワリ、フワリとしていたと。 「お前、大丈夫なのかよ」と声をかけると母は何も言わず にっこりしながらフワ~ッと消えてしまったのだと。 きっと別れの挨拶に来てくれたんだ。 父はそう思ったそうです。 ありがとう 大好きだった君のこと あなたに逢えて 幸せでした 父は本当に母が大好きでした。 何もかも母に頼りっきりで 母だけに心を全面的に開いていました。 その母を失って、父はしわしわになるほど痩せて 悲しみと、辛さと、後悔と、戸惑いと、不安の入り混じる毎日を 母の供養に努めながら過ごしています。 「お母さんはどこにいるのだろう。」 「お母さんはちゃんとそばに居てくれているのかな。」 そう思いながら・・・。 来世では 元気な内臓(からだ) 身につけて 平和な国で 幸福願う 母はレントゲンで確認できるだけで すでに石灰化している結核の痕が三箇所と 肋膜炎の痕が右肺にあり 腎臓が弱く、骨盤は変形して歪になっていて 乳腺症もあったし、胃にポリープもあったし 高指血症で高血圧症で いつも元気でパワフルな母に見えていたけれど 本当は問題を沢山抱えながら生きていました。 だから 来世こそは健康な