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私の想い

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『後悔先に立たず』ということわざがあります。 ものごとが終わった後になって、あれこれと悔やんだり残念がったりしても、いまさらどうにもならないという意味です。 母が亡くなり、私の心の中に後悔が残るとするなら、第一に、こんなにもそばにいながら、なぜ母の病にもっと早く気付いてやれなかったのか。 そして『自分は素人だから』という思いの裏に隠れて、不審に思う医師の診断や治療に、なぜもっと強く抗議しなかったのかということ。 母側から見れば、私がバツイチであること。 いくつになってもマザコンで、甘えてばかりいて自立しようとしないこと。 孫の顔を見れないことなど、私への色々な不満があったかもしれない。 でも、私は親不孝だと言われても、こうしてずっとずーっと長く母のそばにいて、長い間母を独占し 甘えられたことは幸せでした。 母は本当に色々な話をしてくれました。 私も色々な想いを母に打ち明けました。 母の若かりし頃のこと。 学生時代や社会人になって出来た仲間のこと。 飼っていた犬のこと。 ニワトリのお話し。 おじいちゃんとおばあちゃんが交わした約束のこと。 父に内緒で買ったアクセサリーの数々。 父とのなれそめ。 よく読んだ本のあらすじ。 二人で夢中になったゲームのこと。 お互いの人生観。 毎日毎日繰り返される同じような時間。 ときには激しい怒鳴り合いの喧嘩をしたこともあったりして、でも、親子だから『昨日はごめんね』なんて言わなくても、何となく仲直りして、いつもの毎日がすぐにやってきました。 顔を合わせない日なんてなかった。 言葉を交わさない日も一日だってなかった。 だからと言って、毎日が特別な一日だったわけではなく、他愛もない世間話しや愚痴の言い合いだったりして・・・。 そんなことの繰り返しがあったから、母亡き後、悲しいけれど 寂しいとは感じないのです。 『母が死んでしまった』 この出来事が悲しいのであって、私の心の中には母がくれた暖かい愛が、まるで冷めない湯たんぽのように存在していて、仏壇の前のお位牌と話しをするだけで、生前、母と語り合った頃のような充実感が得られます。 母が死んでしまったから、だから、もう母にしてやれることはなにもない。 そんなふうには思いません。 確かに母はもう居なくなってし

言えない言葉

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お母さん 早いもので、もう師走になってしまいました・・・。 今年一年を振り返ってみると いろいろなことがありました。 3月には、本当はお母さんと楽しみにしていた定年退職・・・ 9月には、待ち望んでいた初孫誕生・・・ 11月には、お母さんの3回忌(法要は10/29に行いました)・・・ そして 来年1月に出版される輝夜の詩集が12月に届きました 忙しい一年でしたが あっと言う間に過ぎてしまった気がします。 年賀状ですが・・・ お世話になった方達へ出すためのハガキは買いましたが 『おめでとう』と言う言葉にまだまだ抵抗感があり 自分の方からは出せそうに有りません。 失礼だとは思いますが 頂いた方へのお返事だけにしようと思っています。 神様に与えられたこの試練、 苦しいです・・・が 残された家族で助け合い協力し合って 頑張って行きたいと思います。 これからも見守っていてくださいね。 やすらかに・・・ 過ぎし日の 妻を亡くして はや二年 まだまだ書けぬ 年賀の言葉 このページの、この文だけは2020年3月に書いています。 ですから、これは本当に後日談となりますが、 父も、私も、母の死後、 どうしても新年のあいさつの言葉を口にすることが出来ず・・・ 明けましておめでとう この言葉をようやく言えるようになるまでに 実は数年かかりました。 そうそう。 月姿姫~ツキジヒメ~を運営中に 文芸社との共同出版で 「現人恋詩(うつせみこいうた)」という詩集を出版しています。 櫻乃聲 輝夜(おのごえ かぐや)で出版しているのですが、 先ほど、この名前で検索をしたら Amazonで15,268円で売っていました。 ものすごい高額になっててビックリですよ(^^; 素材: 十五夜 様