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父の言の葉

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これまで私は 妻への感謝の気持ちを 真実のままに 詩やエッセイにしてきました。 天に居る妻に届く事を願って・・・。 心の中で想うだけでも充分だとは思います。 しかし もし妻が私の気持ちを知りたいと望んだとき 常に想っていないと 通じないような気がするのです。 ですが 想い続けるということは 悲しみから開放されないことでもあり 辛く、苦しいことでもあるのです。 ですから こうして目に見える形にして書き記していくことで この想いが形として残り 想い続ける代わりに妻への証となる気がします。 そして 私の想いは もう充分に妻へと伝わったことでしょう。 『とこしえに 流す涙は途絶えても 感謝の気持ち 変わることなく』 妻が旅立って一年以上の月日が流れても この想いは ずっと変わらないでいるのですから・・・・・・。 「父の言の葉」は父の言葉を中心に 娘の私が補足文を下段に追記する形で掲載しています。 想いを形にしようと提案したのは私からでしたが、 父の母への想いはあふれんばかりで枯れることなく、 気付けば、「父の言の葉」は日に日に増えていきました。 私も、父のこの想いは、間違いなく母に届いていると思います。 今しばらく・・・父の気の済むまで、付き合うつもりです。 素材: 夢幻華亭 様

秋に佇む

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あなたが居たあの頃は そこここに潤いがあり 恵まれていて 当たり前に幸せがありました 無理をしなくても笑うことが出来て 何も恐れることなく 何も疑うことなく 明日はあるのだと信じられました でも 今にして思えば あなたが居たあの日々は 毎日母に抱かれる赤子のごとく あなたの守りと愛に包まれた日々だったのですね あなたが・・・ あなたと共に過ごした幸せだった日々が とても とても懐かしいです 涙が出るほど 懐かしいです 思い起こせば 本当に色々な事があったというのに 思い出すのは ふざけあったり 笑いあったりした日々ばかり もう二度と戻らない あなたの居ないこの世界で 私は 今日まで必死に走ってきたけれど 今日はあなたが遠く旅立った日だから この日ばかりは これまで必死にこらえてきた涙を流すことを許してください 明日から始まる新しい日々を 再び必死に走ることが出来るように お母さん お母さん 私を見てくれていますか? これからも見守ってくれますか? 今までも これからも ずっと ずっと頑張って生きていきます いつの日か 再びあなたと巡り会う その日まで・・・ 今から1年前の今日・・・11月6日は 母が天に召された日です。 指折り数えれば「1年」という月日の流れですが 残された私たち家族にとっては 母の死がずっとずっと続いているような日々でした。 終わらない悲しみを、それでも胸の奥に押し込んで 今日まで走り続けてきたのですね。 あとどれくらいの月日が流れれば 母の死が遠くなり、この悲しみが終わるのかわかりません。 でも、明日が続いていく限り 私はこれを抱えて生きていかなければならないのです。 来年の今日は涙を流すことなく過ぎるのでしょうか? この切なさを忘れたいような・・・ 忘れたくないような・・・ そんな複雑な心境です。 素材: 篝火幻燈 様

一周忌

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おかあさん あれから四季が一巡しました あなたと歩いた36年 楽しかった 幸せだった あなたは優しい妻でした 頼りがいある友でした 心強い同志でした あなたは霜月に逝ってしまった あなたと二人で今年の冬の寒さを感じたかった・・・ あなたと二人で今年の春の桜並木を歩きたかった・・・ あなたと二人で今年の夏の蝉の声を聴きたかった・・・ あなたと二人で今年の秋の星月夜を眺めたかった・・・ あれから一年 今年も霜月がやって来た 淋しかった 苦しかった 悲しかった 辛かった あと35年過ごせば この切なさは癒されていくのでしょうか? 時には星となって 風となって 光となって 鳥となって 花となって 私達のことを見守っていてください 安らかにお休みください おかあさん ありがとう 2004年11月 母の命日は11月6日ですが 10月30日に一周忌を行いました 母が天に召されて早くも1年・・・ 父と母が二人で歩いた月日は全部で36年間ですが それを思えば、まだたったの1年です 共に歩いた36年 これと同じだけの時間が流れれば ようやくこの悲しみも薄れるのでしょうか? 1年なんてあっという間 けれど 悲しみが本当に過ぎ去るには まだまだ時間がかかりそうです・・・ 素材: 十五夜 様