投稿

5月, 2004の投稿を表示しています

私の宝物

イメージ
サイパン旅行で 色合いが気に入って買った 明るい紫色のジャンパー 帰ってきて着てみたら どうもしっくりこなくて・・・ あなたが着ていてくれた あなたを感じたくて この頃 そのジャンパーを時々着ています あなたの甘い香りが感じられます 温かいぬくもりが感じられます あなたに包まれているような 守られているような 愛を感じ 元気が出る 明るい紫色のジャンパー 大事に 大切にしよう 私の宝物として お母さん 着ていてくれてありがとう 生前、母は父の言うように 紫色のジャンバーを良く着ていました。 男物なので、小柄な母には少し大きくたっぷりしていて でも、買い物に行くとき、バトミントンに行くとき このジャンバーを着ていましたね。 ですから、このジャンバーを見ると 母の元気な頃を思い出します。 素材: 幻想素材サイトFirst Moon 様

あなたの居ない 不思議な世界

イメージ
あなたの居ない この世界 いまだに 現実なのか・・・・。 夢みているのか・・・・。 これがせつない現実ならば 現実からにげだし 一時でも早く 夢に戻りたい・・・ これが夢みているのであれば 夢からさめて 一時でも早く あの時に戻りたい・・・ ああ あなたの居ない 不思議な世界 いつまで続くだろう 不思議な世界 愛する人との死別(わかれ)を 自然にまかせ じっくりと味わっておこう これが せつない現実の世界 ああ あなたの居ない 不思議な世界 母は本当に長い間『母』で居てくれました。 いつまでも自立しないで 『娘』でいようとする私の母として・・・ 順番でいけば親の方が先に逝ってしまう。 それはわかっていたけれど もっともっと遠い先のことだと思っていました。 けれど、その『瞬間-とき-』はあまりに突然やってきて 何の心の準備もないままに 一瞬にして、元居た世界ではなくなってしまいました。 もう 母は居ません。 残ったものは、拭うことの出来ない悲しみと 認めたくない現実・・・ それでも、月日は無情に過ぎて、私は今日も生きていくのです。 『母』というぬくもりの消えた、冷たいこの世界で・・・ 素材: 幻想素材館Dream Fantasy 様

安らかな死

イメージ
(タロットエッセイ・大アルカナ~世界~) 占いの相談は恋愛相談が多いためか、このカードの代表的な意味が「結婚」であると解釈している人は多いかもしれません。 けれど、このカードの真の解釈は「到達」であり、「終着」であり、「成功」であり、完成されたもの、最後の節目を意味するものです。 父も、私も、妹も、そして母でさえも、まだ誰も母の死の可能性を実感として得ていなかった頃、母は最期を迎える病院に移り、パルス療法という最後の治療を行おうとしていました。 本当は、ずっと前から母の死を私は予感していたのかもしれません。 なぜなら、占い師であるにも拘らず、入院して二週間にもなるのに、ちっとも回復しない母の状態を不審に思いながらも、当時の私は自らカードを展開してみようとしなかったのですから。 妹やご近所の方々に 「ねぇ、お母さんのこと、占ってみた?」と聞かれたときにも 「ううん、やってない。どんな結果が出るか怖いから・・・」と答えたくらいでしたから、やはり無意識の意識でその予感を見ないようにしていたのかもしれませんでした。 でも、母が死ぬ一週間くらい前、私は勇気を出してカードを展開したのです。 このときのカード展開を私はほとんど覚えていません。 古代ケルト十字法で展開したのですが、「潜在意識の問題」のところに節制の逆位置が展開されたことと、「総合判断」のところに、確か聖杯3が展開されていたことは漠然と覚えています。 いつもなら、どんなささいな問題で展開したものでも必ずノートに記すのに、このときの展開はノートに記載しませんでした。 なぜなら、「未来」のところに世界のカードが展開されていたからです。 『安らかな死』 真っ先に脳裏に浮かんだカードの解釈は、それでした。 なぜ、私はこんな解釈をしてしまったのだろうと思いました。 このカードには『成功』という意味もあるというのに・・・。 パルス療法が成功すると解釈することだって出来るのに・・・・・・。 パルス療法は三日間行われました。 そして、今日がその最終日という、その日、ICUのベッドに横たわる意識のない母に、いつものように会いに行き、私はこのとき、とめどなく涙があふれました。 母の肺のあたりに手を当てると、なぜか「コポコポ・・・」と音が聞こえたような気がしたから

六ヶ月目の月命日

イメージ
あなたは逝くとき夢枕(ゆめ)に出て 別れを告げてくれました。 今までは あなたの傍にいないと 淋しくて、淋しくて・・・。 あなたの事ばかりを考えて つらくなって、苦しかった・・・。 あれから半年が過ってしまいました。 あなたもそちらに、いくらかなれたでしょうか? この頃は 淋しさもつらさも、幾分やわらいでいます。 あなたはあれから 記憶に残る夢枕に出て来てくれません。 あなたの事を忘れかけているのではありません。 あなたの面影は私の心の中に 活き活きと新鮮に生きています。 私の思いが足りないのでしょうか? 私の供養が足りないのでしょうか? お願いだから たまには夢枕に出て来てほしい・・・ 近況等をお話しようよ・・・ 姿だけでも、お願いだから・・・。 それでも時折 あなたが居ないことを受け入れられなく なんで?どうして?って 大声を上げたい衝動にかられます。 これが自然の時の流れでしょうか? 安らかにお休み下さい。 お母さん 今日で半年。 早いものです。 この半年で、私も父と同じように 悲しみから立ち直ってきています。 でも、やっぱり父と同じように、 信じられない、信じたくない、という気持ちの衝動がやってきて 本当は、母が生きているパラレルワールドがあって、 なんとかすれば、そっちの世界に行けるんじゃないかとか、 そんな馬鹿みたいなことを思う時があります。 そんなことを思うときだけ、目が覚めたかのように 自分の意識と感覚がハッキリしてくるのです。 そして、母の死後、普段の私は 水のまくに身体全体が覆われているかのような 水中の中にいるかのような、奇妙な感覚にいるのだと気付きます。 きっと自己防衛なんでしょうね。 辛く、悲しく、認めたくない現実を、 それでも生きていくためには、 少し、感覚を麻痺させないと、やっていけないのでしょう。 あと、どれだけの月日が流れたら「普通」になれるんだろう。 そんなことを思った瞬間、 「普通」になりたくないなと思う自分がいます。 この悲しみは、辛い