安らかな死



(タロットエッセイ・大アルカナ~世界~)

占いの相談は恋愛相談が多いためか、このカードの代表的な意味が「結婚」であると解釈している人は多いかもしれません。
けれど、このカードの真の解釈は「到達」であり、「終着」であり、「成功」であり、完成されたもの、最後の節目を意味するものです。

父も、私も、妹も、そして母でさえも、まだ誰も母の死の可能性を実感として得ていなかった頃、母は最期を迎える病院に移り、パルス療法という最後の治療を行おうとしていました。

本当は、ずっと前から母の死を私は予感していたのかもしれません。
なぜなら、占い師であるにも拘らず、入院して二週間にもなるのに、ちっとも回復しない母の状態を不審に思いながらも、当時の私は自らカードを展開してみようとしなかったのですから。

妹やご近所の方々に
「ねぇ、お母さんのこと、占ってみた?」と聞かれたときにも
「ううん、やってない。どんな結果が出るか怖いから・・・」と答えたくらいでしたから、やはり無意識の意識でその予感を見ないようにしていたのかもしれませんでした。

でも、母が死ぬ一週間くらい前、私は勇気を出してカードを展開したのです。

このときのカード展開を私はほとんど覚えていません。

古代ケルト十字法で展開したのですが、「潜在意識の問題」のところに節制の逆位置が展開されたことと、「総合判断」のところに、確か聖杯3が展開されていたことは漠然と覚えています。

いつもなら、どんなささいな問題で展開したものでも必ずノートに記すのに、このときの展開はノートに記載しませんでした。
なぜなら、「未来」のところに世界のカードが展開されていたからです。


『安らかな死』

真っ先に脳裏に浮かんだカードの解釈は、それでした。

なぜ、私はこんな解釈をしてしまったのだろうと思いました。
このカードには『成功』という意味もあるというのに・・・。
パルス療法が成功すると解釈することだって出来るのに・・・・・・。

パルス療法は三日間行われました。
そして、今日がその最終日という、その日、ICUのベッドに横たわる意識のない母に、いつものように会いに行き、私はこのとき、とめどなく涙があふれました。
母の肺のあたりに手を当てると、なぜか「コポコポ・・・」と音が聞こえたような気がしたからです。
ソーダ水の炭酸の泡が上っていくような、そんな音が。

『パルス療法は駄目だったんだ』

そう直感的に悟った瞬間でした。

お母さんは死んでしまうんだ。
パルス療法が最後の治療だと言っていたから、これが駄目なら、もう他にお母さんを救える手段はないんだ。

お母さん・・・
お母さん・・・

死んじゃやだよ・・・・・・。

そう、心の中で何度も何度も呟いては、その言葉と同じ数だけ涙があふれました。
そんな私を看護婦たちは、なんとも言えない表情で遠巻きに見ていました。

私の予感どおり、パルス療法は母の命を救ってはくれず、その三日後に母は静かに息を引き取りました。

直接の死因は間質性肺炎。
肺いっぱいに水が溜まり、皮膚筋炎だったために肺の筋肉が犯され、自発呼吸が出来なくなった上に、それを補うために機械で無理矢理肺を広げるための圧力を与えていたので、心臓に多大な負荷がかかり、肺も心臓も限界を迎えてしまった結果でした。

死んでしまった母は、まるで眠っているだけのようで、無駄だとわかっているのに、私は必死で母の身体を揺らしながら「起きて、起きて」と言いました。
母に握り締めてもらいたくて、動かない母の手のひらに自分の手を入れてみたり、母の耳元に顔を寄せて「お母さん」と呼びかけてみたりもしました。

でも、母は二度と目を開けることはありませんでした。

母の死を悲しむあまり、私はしばらくの間ボーっとしてしまい、母が死ぬ数日前にカードを展開したことなどスッカリ忘れていました。
けれど、母の葬儀を終え、49日の段取りを決めようと、お世話になった住職の元に行ったときに、ふと、思い出すことになります。

『徳林年華~とくりんねんげ~』

これは母が仏様になった時にいただいたお名前です。
その意味を住職が教えてくれました。

「あなたのお母様は、生前ご自分の徳を生かして世の中に貢献し、多くの人々と関わりました。『徳林』の『徳』はお母様の『徳』のことであり、『林』は人々が集い、憩う場という意味があります。また、『年華』は、仏典の中では一年中枯れることのない花を意味するものであり、お母様のお名前にからめた『年』と、そして、お母様が亡くなった後も、お母様が生前積まれた徳が、花となって枯れることのないように・・・という願いが込められています。やがてその徳の花は輪廻転生の輪に入り、来世を迎えるお母様の新たな徳へとつながっていく意味を持たせています。」

私はこのとき、突然、「未来」のところに世界が展開されていたことを思い出しました。

このカードは、ひとつの意味として『安らかな死』がありますが、タロット物語としての世界の意味は『人生を終え、新たな人生を迎えるための準備期間であり、輪廻転生の輪に加わり、静かに次生の時を待っている』という意味になるのです。

涙が不意にこぼれました。

これまでの私は、なぜ母はこんなにも早く死ななければならなかったのか、助かる命だったはずなのに、なぜ・・・?と、そればかりを思っていました。
なぜなら、母は誤診が原因で見当違いの杜撰な治療を長期間受けていたために、容態が悪化し、死期を早められたと病理解剖で結果が出ていたからです。
もしもそれが事実なら、母も私たち家族も浮かばれないと思っていました。

けれど、違ったのだと思いました。

母は人生を終えたのですね。
平均寿命よりは20年以上も短い人生だったけれど、世界のカードが示すように、母にとってはこれが最後の節目であり、この世のお勤めを終えた瞬間だったのですね。

今頃母は輪廻転生の輪に加わり、新たな時をつむぐため、静かにその時を待っているのでしょう。

母の死に顔を思い出しました。
眠っているだけのような、穏やかな表情。
60歳にはとても見えない、何だか少し若返ったような、美しい顔でした。

きっと母は良い人生を歩んだから、あんなにも綺麗な死に顔だったのですね。
「世界」のカードが展開されるほどに、母の人生は幸運に恵まれ、母なりに人生を極めたのかもしれません。

母は今、どうしているでしょうか。
いただいた名前のように、仏の世界で徳の花を咲かせているのでしょうか。
その花はきっとたおやかで、ちょっと人目を引く花に違いありません。

母は、そんな人でしたから――――――。




素材:10年以上愛用しているGolden Tarot デッキを写真に撮りました


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