母について



母は昭和17年12月15日に生まれました。
6人兄弟の末っ子です。
と言っても
母が生まれた頃は既に2人の兄弟を失い
4人兄弟でした。

おばあちゃんは言ったそうです。

「お前みたいな子供を『つるたごめ』と言うんだよ。」

『つるたごめ』とは
刈り入れ時がスッカリ終わり
つる草だけになってしまったつるを片付けていると
出てくる取り忘れた小さな実のことだそうです。

母は小さくて痩せた子供でした。
でも
とっても活発で気丈な娘でした。
運動神経も抜群で
亡くなる頃も母が37歳の頃から主催する
バトミントンを続けていました。

小さな頃から動物が大好きで
それは大人になっても変わらず
母が助けた犬や猫は数え切れないほどです。

父に見初められ
交際わずか半年足らずで結婚し
すぐに私が生まれ
その3年後には妹が生まれました。

私たち姉妹は親不孝ばかりしてきたけれど
母はいつでもどんなときでも一番の理解者で
一番の味方でした。

私は色々な人に母のことを話していました。
占いのお客様や会社のスタッフのみんな
タロット教室の生徒たち
ネット上のお友達にも。
私からの話ししか聞いていないのに
母に会ってみたい
どんな人か見てみたいと興味を持たれることが多く
母はそれだけ
魅力ある人だったのだと思います。

母は町内会の役員もしていて
『婦人部』という新しい組織を作り
20年その婦人部長を務めました。
最後は三役のひとつ『会計』を引き受け
今年で最後の予定でした。

この十数年
母はゲームにもはまりました。
スーファミから始まって
母が好きだったゲームは

ファイナルファンタジー
マリオカート
ボンバーマン
ロマンシング・サガ
ドラゴンクエスト
アンジェリーク
スーパーロボット大戦
バイオハザード

数え上げたらキリがないくらいです。

高校生の頃からの友人たちと集い
「さつき会」と命名し
旅行にも出掛けていました。

60歳になってもパワフルで
本当に元気だった母。

母は思うとおりに生き
やりたいこと、興味あることはなんでもやって
きっと悔いのない人生だっただろうと思います。


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