父からお母さんへ





お母さんへ



はじめてお母さんを見たのは
工場の課別卓球大会の時でした。

場所は工場の組合事務所横にあった木造立ての体育館でした。

お母さんは経理の人と、
俺はたぶんAさんだったと思う。

ダブルでお母さんペアーと試合をしました。
勝負はどのようになったか忘れましたが・・・。

多分お母さんペアーが勝ったでしょう!

その時、俺は二十歳ぐらいだったと思います。

それからお母さんが昭和42年の何月だったろう。
夏休みの前だったかな・・・。

経理課から俺と同じ課に配属され、
俺が勤務する現場に挨拶に来ましたよね。
その時から俺の心に火がついてしまい、
消すことが出来なくなりました・・・。

お母さんをデートにさそい、俺の気持ちを告白したよね。
迷惑だったと思いますが、
承諾してくれた時は本当に嬉しかったです。

俺が22才、お母さんが24才でした。

それから一緒になり
経済的・精神的・その他いろいろな面で苦労かけたこと
本当におわびするし、感謝します。

夫でありながら
頼りがいあるお母さんだったから、全面的に甘えてしまい・・・

母のような、姉弟のような気さえすることがありました。

本当にありがとう。

また、娘二人を残してくれて本当にありがとう。
今回もよく手助けしてくれています。

定年後の約束事がはたせなかったのは
本当に残念ですが・・・。

これからも娘二人に協力してもらい、
頑張って行きますので、
夢枕に来て指示して下さい。

本当にお母さんに逢えて幸せでした。
ありがとう。

これからも宜しく見守っていて下さい。
おじいちゃん、おばあちゃん、お姉さん、お兄さんに
宜しくお伝え下さい。

来世も逢えることを楽しみにしています。

やすらかに。





これは私の父が母の棺の中にしたためたお手紙です。

父と私は母の最期に間に合わなくて、妹夫婦が間に合ったのだけれど
病院に到着し、妹に母の死を告げられたとき、
父は堰を切ったように号泣しました。

母亡き後、父は健気に母の供養に努めています。



素材:十五夜


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